らんぼ~流 山屋の視点
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 会社の駐車場に停めてある自分の車に向かいながら、君は最新のヒット曲を口ずさんでいた。
 普段は椅子に腰掛けているだけで時間が過ぎてゆく事務の仕事なのに、今日は予想外に歩く機会が多かった。出社と同時に知らされたイレギュラーな営業会議の準備に、午前中いっぱい社内を奔走させられたのだ。
 横取り屋(インターセプター)と呼ばれる個人営業の産業スパイが跋扈する現代では、君の会社のような比較的小規模のソフトハウスでも標的にされることがある。常に最新の対応を要求されるコンピュータのセキュリティ対策は現代に生きる企業の最重要課題だ。しかし、中小の企業では経費が追いつかないこともあり、重要なデータを蓄積しているコンピュータをネットワークから隔離することでそれに代えているところが多い。
 君の会社もその例に漏れず、社外秘のデータはすべて電算室にあるスタンドアロンのコンピュータで一括管理している。そうしたデータのやり取りは専用端末を認識するタイプのメモリカードで行われるのが一般的だ。だから、今日のように予定外の会議などが入れば、電算室付きの事務職が汗をかくことになる。
「広告部の部長って、会議に出るはずだよね?」
 君は各部署をまわって会議に出席する社員から集めたメモリカードに新製品のプレゼンデータをコピーしながら、同僚に聞いた。
「そのはずだけど・・・。席にいなかった?」
「うん。しばらく待ってみたけど、戻ってこなかったの」
「あのサボり魔。・・・それ、私がコピーしとくから、奈津子、もう一回様子見てきてくれる?」
「わかった」
「大体さあ、私たちを何と思ってるのかしら? もう一系統、閉じたLANを用意すればいいのに」
 疲れた顔で不満を漏らす同僚に話を合わせながらも、君は内心喜んでいた。
 以前から恋人と計画していた屋久島行きが三日後に控えている。山にくらべればほんの短い距離だけど、それでも何度もスロープを上り下りしたので多少はトレーニングになったはずだ。
 自動車の運転席にもぐり込むと、君はいつも持ち歩いている携帯端末でメールボックスの確認をする。恋人と付き合うようになってから、半ば習慣化している日課の一つだ。君だけに限らず、通信事業の多くがネットワークを経由して行われている現代、メールボックスの管理は多くの人々の日常生活の中に組み込まれている。だけど、君のように、端末を使ってそれを行うのはどちらかと言えば少数派だ。多くの人たちはバーチャル・ユニットを通して、ウェブの中に借りてある仮想住宅の郵便受けを覗き込むことでそれを行っている。
「あ、来てる」
 君は端末の画面の中に恋人からのメールを見つけて破顔する。車のエンジンをかけ、オートドライブシステムを自宅へセットすると、君は恋人からのメールを読み始めた。
 メールには、今夜会わないかという旨の文章が書かれている。会うといっても、ウェブ上に構築された仮想都市でのことだ。明日は水曜日である。現実の世界では百五十キロも離れたところに住んでいる恋人と逢瀬を果たすのは、時間的に難しい。
 君は小さく溜め息をつく。
 会いたいという恋人の言葉は嬉しいけれど、ユニットを介してのデートはあまり気が進まない。もちろん、恋人と会えること自体は楽しいし、今のバーチャル・テクノロジーは現実と区別がつかないほどリアルな感覚が味わえる。現実と寸分たがわぬその精巧さゆえに回帰不能事故が多発した時期さえあったくらいだ。そうした事故の防止のために、現在の仕様では常に強制的にバーチャルであることが意識させられている。アングラなサイトを探せば、事故防止のシステムを解除する違法ツールもあるとは聞いているが、そうしたところで君には無意味なように思えてならない。バーチャルはあくまで、バーチャルだ。幻想であることを知らずにいれば、それで問題が解決されたというわけではないと君は思う。
 自宅に戻った君は携帯端末を恋人の家に繋ぐと、このまま音声通話で話をするだけにしないかと申し出た。
「奈津が嫌なら別に無理は言わないけどさ」
「けどさ・・・って、その続きは?」
 君はそこでソファーから降り立った。バリアフリーになっているキッチンに行ってコーヒーを淹れる。音声はスピーカー出力にしているので、少し離れても会話は可能だ。
「いや、それより、いい加減、そのバーチャル嫌いを直さないか?」
「別に嫌いなわけじゃないよ・・・便利だなって思うこともあるし。だけど、せつなくなるんだもん」
「せつなくなるって?」
「真彦さんと会ってるのに、実際は会ってないんだってわかるから」
 君はソファーに戻ると、コーヒーを一口飲んだ。
「それを言うなら、いまだって実際には会ってないだろ?」
「だけど、これは現実でしょう? 真彦さんとは会っていないけど、ちゃんと自分の口であなたと会話してる」
「まあ、それはそうだけどさ・・・俺は声だけじゃなくて奈津の顔が見たいよ」
「じゃあ、端末に画像通信用のCCDカメラでもつけようか?」
 君がそう言うと、恋人の慌てたような声がスピーカーから漏れた。
「それは絶対、駄目。どこかのハッカーに覗き見されちまうだろ。奈津の裸を見るのは、俺だけの特権」
「・・・別にいま、裸じゃないです」
 君はくすりと笑うと、小さく咳払いをしてから、事務的な口調でそう返した。
「まったく、もう・・・ほっとくと何を想像されるか、わかんないんだから。で、今度の屋久島だけどさ――」
「待った。それ以上は向こう側で話をしようぜ」
「あ、まだ、あきらめてないな」
「うん。さっきの《けどさ》の続きは、《俺としては奈津の身体を抱きしめたい》です」
「ったく・・・わかりました。じゃあ、五分後に向こうで会いましょう。――このコーヒー、飲み終わってからね」
了解(らじゃ)
 恋人はそう言って、通話を終了した。
 端末の画面には、回線切断(ノー・キャリアー)と表示されている。
 君はカップに残ったコーヒーを飲み終えると、下着姿になってVRユニットのシートに腰を下ろした。リクライニングさせると、お気に入りのソファーより座り心地がいいのが癪だ。
「さてと。――あ、バレッタ」
 頭部神経デバイス(ヘッドギア)を被ろうとしたところで、君は髪をまとめてあったことを思い出す。
 君はバレッタを外すと、横にあるテーブルの上に放り投げた。
「もう・・・いろいろ面倒だなあ」
 呟きながら、手首にセンサーパッドを巻きつける。ヘッドギアを被って、それに付属しているモニタ・ゴーグルを目に当てると、君はユニットのメインシステムを立ち上げた。ほどなく、目の前にメニュー画面が浮き上がる。メニューにはすでに登録済みのアクセス先が表示されている。
 君はウェブの中の仮想都市《ネオ・ポリス》を選ぶ。
 同時接続可能数三〇〇万人を誇る最新のバーチャル都市だ。国内だけでも同規模のサービスが他に二〇近くあると言うが、それでも需要に追いつかないらしい。
 社会保障番号とパスワードを視線入力(インプット)すると、それを確認したシステムが必要なデバイス・ファイルを読み込んでゆく様子がゴーグルのモニターに表示された。同時にシートの後部に折り畳まれていたユニットの外殻(シェル)がせりあがり、ゆっくりと君を包み込んでいく。この外殻はアクセス中の人体(パイロット)の保護と外気の遮断のためのものだ。外殻に包まれた状態を母親の胎内にいるようだと形容する人もいるが、君にはまったく理解できない。
 外殻が完全に閉じられると、空調システムが稼働を始めた。この瞬間だけは確かに気持ちいいと君は思う。完璧に管理された空調のおかげで暑くもないし、寒くもない。外殻は防音効果も高いので、人間工学的に計算されたシートと組み合わせれば、外界からの刺激をほぼ完全にシャットアウトできる。まるで自分が意識だけの存在になったようだ。
 しばらくすると、視界に原色の光がちらつき始めた。同時にヘッドギアに包まれている頭皮にちくちくと針でつつかれたようなわずかな痛みが走る。ユニットの取扱説明書には、視神経から送られてきた光の信号を使用者の脳がどのように処理するかモニタリングして、ヘッドギアの詳細な設定を行うための行程だと説明されている。しかし、君は単純に不快なだけの行程だと理解していた。
 その行程が数十秒間続いただろうか?
 不快感に耐えられなくなった君が顔を歪めたところで、光の乱舞が終了した。と、同時に君はネオ・ポリスの中に借りてある部屋のソファーの上に座っている自分を見つける。
「ふう・・・」
 君は小さく息を吐くと、そのままの姿勢でゆっくりと両手を握ったり開いたりした。しばらく同じ行為を繰り返してみたが、視界にエラーの表示は出ない。
 ――接続完了(ログイン)
 現実世界に残された君の肉体に伝えられるはずの能動と受容に関する全ての神経刺激が神経デバイスの方に転送されたのだ。こちら側でどんなに飛びまわっても、現実世界にある君の肉体はぴくりとも動かない。視界のすみには、赤い枠で囲まれたLOG-INとPHONEというアイコン、そして仮想都市における現在の座標(アドレス)が常に表示されている。不慮の事故が起こったときは、こちら側から都市管理センターに連絡し、社会保障番号と現在の座標を通知すればよいというが、幸い君にはそうした経験はない。
 君は勢いをつけてソファーから立ち上がると、部屋の中を見回した。現実世界の君の部屋にも置いてある鉢植えのベンジャミンの葉が、開け放たれた窓から入るわずかな風に揺れている。
 君は備え付けのドレッサーの中からお気に入りのワンピースを取り出すと、それに着替えた。
「こういうの、向こう側でも欲しいなあ・・・」
 君は鏡に自分の姿を映すとくるりと回ってみせる。
 ネオ・ポリスで流通している通貨は現実世界と共通である。そして、こちらでは比較的物価が安い。全ての物が原材料の不要なプログラムとして存在しているわけだから当然といえば当然だが、君としては現実世界とのギャップに物思うところだ。
 視界のすみにあるPHONEというアイコンを視線入力(クリック)すると、ほどなく、君の手の中に携帯電話が出現した。
 携帯電話はここでの基本アイテムだ。通常の通信機器としての役割だけではなく、金銭の支払いなど日常生活のほとんどの場面に密接に関係している。
 君は恋人に電話を掛ける。
 互いに通話転送サービスに加入しているので、仮想都市から現実の世界への通信機器に接続することも出来るが、恋人のほうもすでにこちら側に来ていた。
「――お待たせ。ねえ、真彦さん。どこで落ち合おうか?」
「俺が奈津んちに行くよ。近所に新しいポータルができたんだ。んーと、そうだな、四、五分でそっちにつく」
「わかった。じゃあ、待ってるね」
 ネオ・ポリスで生活する上での利点の一つは、移動に時間がかからないことだ。都市の中にはいたるところにポータルと呼ばれる電話ボックスのような外観の施設が設置されている。利用者はそこに入り、案内画面に表示されたマップで行き先を指定すれば、そこにほど近いポータルに瞬間的に移動できる。あとは歩きだ。特定の地域や施設内に移動しない限り、利用料金はかからない。もちろん、この世界にも自動車などの乗り物は存在するが、移動の道具というよりは趣味のアイテムとしての性格が強い。
 君が玄関に出て待っていると、数分もしないうちに恋人が歩いてくるのが見えた。君は恋人に走り寄ると、その腕をとって、会いたかったと告げた。
「何だよ。調子狂うだろ?」
 恋人はまんざらでもないような顔をして微笑む。
「え・・・だって、さっきはちょっとつれなくしたから、反省してるの。ごめんね」
「なるほどね。気にしてねえから、別にいいよ。奈津のバーチャル嫌いは知ってるし・・・」
「本当にごめんね」
 君はそう言って、玄関のドアを開けた。
 恋人と一緒にソファーに腰を下ろすと、君は屋久島の地図を広げた。
「じゃあ、真彦さんの方は予定通りの日程でいい?」
「ああ、有給取ってるから大丈夫だ。しかし、今時、露天風呂が残ってるなんて嬉しい発見だなあ」
「残念ながら、混浴じゃないけどね」
 君は舌を出して混ぜっ返す。
「どうせ、期待はしてないよ。・・・ああ、そうだ、奈津にお土産があったんだけど、そんなこと言うとやらねえぞ」
 恋人はそう言うと、持ってきたディパックを膝の上に置いた。
「あ、うそです。本当はわたしも期待してた。真彦さんと一緒にお風呂に入れないなんて、残念だなあって心からそう思う。――ねえ、お土産ってなあに?」
 君は笑って取り繕う。
「最悪のフォローだな。・・・まあ、いいよ。あとでしっかり埋め合わせしてもらうから」
 ディパックのジッパーを思わせぶりに開けながら、恋人はそう返した。
「さて、一体、何でしょう?」
「うーん。ヒントは?」
「オブジェクトのサイズは約二八〇ギガ」
「むう・・・わりかし大きいね。んと、じゃあ、有機物かな? 食べ物?」
「惜しい。飲み物」
 恋人はそう言って、にやにやしながら、ディパックの中からテルモスを取り出した。
「コーヒー?」
「そそ」
「うーん、こっち側のコーヒーはあんまり美味しくないからなあ」
「まあ、そんなこと言わずに飲んでごらん」
 恋人はそう言うと、君の用意したコーヒーカップにテルモスの中身を注いで君に手渡した。
 君はそれを一口飲んでみて、感嘆の声をあげる。
「わ、何、これ? すごく・・・」
「うまいだろ?」
「うん。本物と全然変わらない」
 君がそう言うと、恋人は、ここではこれが本物だよ、と声をあげて笑った。
「まあ、たしかにそうだけどさ・・・。でも、これ、一体、どうしたの? 新製品?」
「その通り。いま、最終審査を受けてるところだから、もうすぐ一般にも発売されるよ。こいつに使ってる味覚刺激プログラムの基本システムは、うちの会社がパテントを持ってるんだけどさ、従来のものと違って直接脳幹に刺激を与えるんだ」
「ふうん」
 神妙な顔で話を聞く君をやわらかな笑みを浮かべて見つめると、恋人はさらに言葉を続けた。
「味覚や嗅覚について、従来の感覚刺激プログラムが充分な効果を発揮できなかったのは、大脳新皮質を中心に刺激していたからなんだ。つまり、過去の記憶を引き出して味覚や嗅覚を再現するシステムだったのさ。だけど、この方式には昔から限界があると言われてた。大脳新皮質には味覚や嗅覚を受容する感覚野が未発達だからね」
「うん」
「ところが今度のシステムだと、大脳新皮質を経由せずに直接、味覚や嗅覚を司っている古い脳の部分に刺激を送ることができるんだ。特に嗅覚に関しては前頭葉とも深く結びついているんだけど、このプログラムはそこにも刺激を送っている。だから、ちょっとプログラムのサイズが大きくなるけど、本当に実際の舌を通した刺激のように脳に情報を送ることができるんだよ」
「・・・それって、すごいことなんだよね?」
 君が小さな声で質問すると、自分の舌で確かめただろう、と恋人は笑った。こくりと頷く君の頬を軽くつねると、恋人は言葉を続ける。
「味覚や嗅覚っていうのは、もともと感覚の中でも最も原始的なものなんだ。受容体にしても水溶液中の化学物質を検知するだけのシステムだからね。レンズや鼓膜といった複雑な部品を使った高等な感覚器ではない。僕ら人間は舌の味蕾細胞や鼻腔の粘膜にだけしかそうしたレセプターを持っていないけど、一部の魚類や昆虫なんかはそうしたレセプターを体中に持っているやつがいる。味覚や嗅覚はもともと外敵や獲物の接近を感知するレーダーとして使われていたんだ」
 いつになく熱っぽく語る恋人の言葉に君は唖然となりながらも惹き込まれていった。しかし、同時に君は不思議な感覚にとらわれていた。
「ちょっと、ストップ」
「何だよ? いま、いいとこなのに」
「それは認める。だけど、一つだけ質問させて。真彦さんはどうしてこんな話を始めたの?」
「奈津にうちの会社の製品を自慢したかったから」
 恋人は顎を掻きながら言った。
「うそ。真彦さんてば、仕事の話なんかあんまりしない人じゃない」
「でも、興味あるんじゃないの?」
「それは、そうだけど・・・でも、わたし、真彦さんにそんなこと、一言も話したことないよ」
「うーん。なかなか鋭いなあ。まあ、ちょっとした魔法だよ。奈津の考えてることは手に取るようにわかる。奈津は味覚や嗅覚に関するはっきりとしたイメージを脳の中に再現できないことを疑問に思っていただろう? だから、話してあげてるのさ」
「魔法って・・・わたし、そんな素振り見せたっけ?」
 君は口を尖らせて訝しがる。
 もしかして、これは夢なのだろうか?
 恋人はその一瞬の君の思考を読みとったように言葉を続けた。
「ここは仮想都市だからね。言わば、夢の世界だ。だから、どんな魔法も可能なのさ。さっきも話したように、味覚や嗅覚という感覚は、原始的かつ感情的な脳と繋がりが深い。だから、理性の力で再現したりすることが難しいし、そのときの気分にも大きく影響を受けるのさ。そうだね、こういう言い方もできるよ。つまり、味覚や嗅覚といった感覚は、心そのものと深く繋がっているんだ、と。匂いや味で、情感のある思い出が想起されるのもそのせいだよ」
 恋人はそう締めくくると、再び同じ疑問を口にしようとした君の唇をそっと自分のそれでふさいだ。
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