らんぼ~流 山屋の視点
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> 本を読んでたの?
> うん。あ、手紙、ありがとうございました。お礼言うのが遅れてごめんなさい。
> ううん。構わないわよ。私の方も謝らなきゃいけないことがあるの。彼氏からの手紙、一応読ませてもらいました。
> いいえ。多分そうだろうなって思ってましたから。カウンセリングには、情報公開の順序が大切なんでしょう?
> ああ、奈津子さんの相手をしてると普段の苦労が嘘のよう。理解のある患者さんって、楽だわ。
> どういたしまして。で、検閲の結果はOKだったわけですね?
> 古い言葉を知ってるわね。うん。一応、あなたの彼氏と事前に話をして手紙を書いてもらったから、検閲ってほどでもないけどね。
> あ・・・真彦さんと会ったんですか?
> ううん。直接には会っていない。ウェブ上でやりとりしただけ・・・でも、素敵な彼氏ね。考え方もしっかりしてるし、手紙の内容もよかったわ。「大丈夫か?」「きっと良くなるから心配するなよ」なんて言葉、入院してる患者の側から見れば、「すごい怪我だな」「心配しろ」って言われてるのと同じことだもの。それをちゃんと心得てる。大したことないって思うかも知れないけど、心得ててもそれをできるかどうかはまた別の問題よ。本当に患者さんのことだけを考えてない限り、自分を着飾ろうだとか心配していることをわかってもらおうだとか、そういう心理が必ず入ってくる。人間の性よね。実際の話、カウンセリングを生業としてる私たちでも、自分の身内がこういう状況になったら、なかなかああいうふうには書けないわ。
> わあ、あとで真彦さんに教えちゃお。心のプロがベタ褒めよって。
> そうしてちょうだい。私も指導した甲斐がある。
> はい、そうします。あ、それから、あのメール、わたし、記念にとっときたいんですけど、退院するときにわたしの家に転送してもらえませんか?
> いいわよ。退院まで待たなくても、アドレスわかってるから今日にでも転送しとくわね。
> ありがとうございます。
> どういたしまして。取っておきたいっていう奈津子さんの気持ち、すごくよくわかるもの。最高のラブレターだもんね。こんな言葉があるのよ。「愛についてただの一言も触れていない愛の手紙こそが最上の恋文である」っての。まさにそれだわ。
> へえ。素敵な言葉。誰が言ったんですか?
> 亀井勝一郎って人。もう昔の人よ。
> ふうん。どんな人ですか?
> 二十世紀中期の批評家。宗教とか幸福なんかについて書いた人。うーん、それだけじゃ言葉不足かな。いまでも随筆が残ってるから、興味があったら読んでみて。
> はい。今度、探してみます。
> ちょっと堅い感じがするかも知れないけど、奈津子さんだったら好きになると思うわよ。言葉に対して厳格な人でね、いろんな文化や思想に対する歯に衣着せぬ鋭い切り口が気持ちいいと私は思う。
> 気持ちいいか・・・。でも、わたし、あんまり好きになれそうにないな。
> どうして?
> ・・・何となく、うちの父に似てるから。
> 奈津子さん、お父さんのこと嫌いなの?
> うん。・・・あんまり好きくない。
> そうか。よかったら詳しく話してみない? 力になれるかも知れないわよ。
> カウンセリングの追加料金取られません?
> ふふ。取らない取らない。ほら、いい機会じゃない。恥ずかしがってないで、話してごらん。
> うん・・・なんて言うのかな。とにかく怒ってばかりいる。あの人はそんなこと意識してないのかも知れないけれど、普段話していても、すごく言葉がきついの。だから、いまはもうあんまり話したりしないけど・・・。
> そう・・・奈津子さん、中学一年生のときにお母さんを亡くしてるわね。お父さんが厳しくなったのはその頃から?
> ううん。昔からそうだったんだろうと思う。あの人に関するいい思い出ってあんまりないもの。でも、母が亡くなってから、特にそうかな?
> ストップ。ちょっと、いいかな。・・・約束してたから、しなかったけど、割り込みかけるところだったわよ。カウンセリングはいったん中止。奈津子さんのこと好きだから、忠告しとくの。どんなに嫌いでも、お父さんのことを「あの人」なんて言うのはやめなさい。一回目は聞き逃したけど、二回目は許さない。聞いてて、すごく嫌な気分になる。お父さんにというよりも、私に対して失礼よ。あなたにこういう態度をとったこと、あとで倉橋さんに怒られるかも知れないけど、私は我慢できないから言わせてもらう。私の発言に対してあなたが気分を害したのなら、カウンセリングは一旦中止。私の言いたいことをわかってくれるんだったら、話を続けて。

「あ・・・」
 君は由利さんの思いがけない反応に言葉を失う。
 特別、意識して「あの人」という表現を使ったわけではない。二回目と指摘されて、君はバッファを立ち上げて確認する。たしかに、それもほんの短い間に、その表現を使っていたということに君は気付く。父という言葉を使ったのは、最初の一回きりだ。
《お父さんにというよりも、私に対して失礼よ》
 その由利さんの言葉の意味は何となくわかるような気がして、君は少し後悔する。
「・・・どうしよう」
 どうしようって、話を続けなきゃ。
「でも、きっと、怒らせちゃったよ。軽蔑されてるかも知れない」
 まさか。彼女はカウンセラーだろ? 患者である君の言葉にいちいち腹を立ててたら、仕事にならないさ。それに君のことを思って言ってくれた言葉なら、それに答える義務が君にはある。
「だけど・・・」
 さあ、キーボードを叩いてごらん。彼女の顔は見えないし、文字だけのやりとりじゃ声の調子もわからない。誤解を招くような表現をしたと思うなら、それを訂正してわかってもらわないといけないんじゃない?
「うん・・・」
 君はおそるおそる由利さんに謝罪する。すると、彼女は君が拍子抜けするほど優しく、それを受け入れてくれた。
 ほらね。僕の言ったとおりだろ?
「本当だ・・・ねえ、《愛しの君》って、もしかしてわたしの賢いとこばかり盗ってない?」
 どういう意味?
「だって、あなたはわたしなんでしょう? それなのに、わたしより由利さんのことよくわかってるし、それにいろいろ正しい判断をするじゃない」
 それは、きっと僕の言葉が君にしか聞こえないからさ。言葉にするには勇気がいる。だけど、僕の声は他の人には聞こえない。だからじゃないかな?
「わたしも勇気さえ出せば、あなたのようになれるかなあ?」
 もちろんだよ。僕は君だ。それに君は由利さんにちゃんと謝れたじゃないか。

> 別に父に叩かれたりだとか、暴力を振るわれたことはありません。だけど、言葉がきつかったの。思いやりとかそういうものを言葉に込めてくれたことが一度もないような気がするんです。
> 本当に? それは奈津子さんの先入観からじゃないかしら? ちゃんと思い出してみて。優しい言葉をかけられたことは一度もない?
> それは・・・親子だから、まったくないとは言えないけど、でも、どうでもいいようなことを話しているときだけです。わたしが悩んだり苦しんだり迷ったりしてたときには、優しくしてくれたことなんてないと思う。
> なるほど。奈津子さんが精神的な問題に直面してるときに、そういう優しい言葉を掛けてくれたことがないってことだね。
> うん・・・。だから、よけいにそう思うのかも知れないけど。
> そうね。その通りだわ。あなたのお父さんに対するそういう認識にはちょっと先入観が入ってるわね。
> だけど、好きになれないのは仕方がないでしょう?
> そうよ。好き嫌いの感情に理由なんてないわ。別に何も利害がないのに、些細な理由で人は人を嫌いになるし、もちろんその逆もある。だから、あなたが、わざわざ理由を呈示してお父さんのことが嫌いだなんて考える必要はないわ。嫌いなら嫌いでいいのよ。
> ええっ・・・。そんなに突き放した言い方しなくてもいいでしょう? やっぱり、さっきのことで軽蔑してるんですか?
> 深読みしないの。事実を言ったまでよ。
> でも、最初、力になれるって・・・。
> たしかにそう言った。だけど、どんなに相手のことを思いやっていてもね、言葉は、残念ながらそうそう心の奥までは届かない。もしうまく届いたとしても、その心を変えることは難しいの。もちろん、心理学的に計算された手法を用いれば、可能だけれどね。
> でも、由利さんはできるんでしょう?
> 訓練は受けてる。だけど、それはもう言葉ではないわ。手術に使うメスのようなものよ。だから、私はなるべくそれを使いたくはないの。奈津子さんには素敵な心がある。もちろん他の人たちにも。その素敵な心を、多少問題があるからといって、強制的に方向修正することはその人の心を踏みにじることだと私は思う。どんなに良い方向に変えるとしても、それは癒しなんかじゃなくて、破壊とか洗脳って表現されるものだわ。私にできるのは、導いてあげることくらい。変えるのは、あなた自身なのよ。あなたがお父さんのことを好きになりたいって言うのなら、それを手伝ってあげることはできる。だけど、別に嫌いなら嫌いでもいいじゃない。
> うん・・・。
> でも、あなたのお父さんのこと、私は好きだな。

 ――とくん。
 君の胸の中でその言葉は大きく響いた。
 由利さんが父のことをそう表現したこと、好きだと言ってくれたことに、君は不思議な嬉しさを感じた。誇らしさを感じた。
 どうしてだろう?
 わたし、お父さんのこと嫌いなはずなのに・・・。
 君はそう思う。

> 由利さんはどうしてそう思うんですか? 父のことが好きだなんて。
> 奈津子さんがお父さんを嫌っているのと同じ理由からよ。私は奈津子さんがお父さんを嫌っているところが好きなの。
> ええっ? どうしてですか?
> 私に似てるところがあるからかな。言葉のきついところ。
> うん。でも、由利さんはわたしのこと思ってくれて言ってくれてるんだし、それに・・・悪い意味でとらないでくださいね・・・他人だから。
> 大丈夫よ。言いたいことはよくわかる。私がカウンセラーだからだよね。
> うん。そうです。
> じゃあ、わかってくれてるみたいだから、きついこと言うよ。こういうものの言い方について、私に対しては許してるのに、お父さんに対しては許せないって奈津子さんの気持ち。それはたしかによくわかるけど、ただの甘えね。お父さんに対する甘え。甘えることがいけないとは言わないけど、それを許してくれないからといって、嫌いになるのはどうかと思う。
> 由利さんの言うことは理解できます。たしかにわたしは甘えてるのかも知れない。だけど、それはわたしのサイドの問題であって、父の問題ではないでしょう?
> 要するに、お父さんには愛情がないってこと?
> そこまでは言わないけど、もう少し優しくしてくれてもいいと思う。
> わかった。このままじゃ、いつまでも進展がないわ。しばらく冷却期間をおきましょう。
> 待ってください。由利さんはうちの父の美徳が理解できるんでしょう? それをわたしに教えてください。
> そんなことしても無駄よ。言ったでしょう? 言葉は心の奥までは届かないって。あなたがいくら言葉で理解しようとしても、嫌いな人を好きになることなんてできないし、無理をすれば、あなたの心に別の問題を植え付けることになる。
> でも・・・。
> 奈津子さん、そこまで言うからにはお父さんのこと好きになりたいんじゃないの?
> それは・・・わかんない。でも、たった一人の肉親だし、このままじゃいけないとは思ってる。
> わかったわ。この問題に関しては、倉橋さんにも相談しといてあげる。とにかく、少し頭を冷やしましょう。
> ・・・はい。
> じゃあね・・・最後に私の嫌いな言葉を教えてあげる。いまの人たちってさ、こういう表現をよく使うでしょう? 例えば、自分がコミックが好きだっていうことを相手に伝えるときに「僕ってマンガが好きじゃないですか」って。自分が一段下の立場にいるような言い方で、相手に判断を任してる。
> それは相手の意思を尊重しているってことではないですか? 親愛の表現だと思うわ。
> 全然、違う。私に言わせれば、単なる奴隷根性。しかも、自分の判断の尺度を相手に押しつけてる。へりくだっているようで、実は反強制的な言葉だわ。もっと言えば、逃げ道を残してる。相手から違うって言われたときのために備えて、そういう言い方をして自分を安心させてるのよ。それから、甘えてるって言い方もできるわ。自分の考えをしっかりと主張せずに、楽観的に相手から同意を得ることを期待している。違うかしら?
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